有明堂本舗

日常生活のなかにあるちょっとしたことへの興奮

「半年に5分」のあいだがら

「書きたいことが思いつくたびにブログサービスを乗り換える男」でおなじみ、有明堂本舗 店主のおひさしです。ごきげんよう。打ち棄てた廃墟のほうもよろしくお願いします。

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さて今回は、コミケに参加してみて、その独特のコミュニケーション形式がけっこう清々しくて、「半年に5分だけ話す」というのがもっと生活の基本形になってもいいのじゃないかと思った話をしようと思います。

 

 

12月29日、冬コミの1日め。今回初参加するという友人に売り子とサポートを頼まれたぼくは、サークル主と一緒に朝イチ入場し、ブース設営から撤収まで丸1日手伝った。

 

僕は文フリなどにはサークル参加していて、別に全く初めてというわけではなかったこともあり友人にサポートを頼まれたのだけど、イベントに自分で頒布物を用意せず、売り子だけでの参加というのは初めてだったので、なかなか新鮮ではあった。


色んなひとがブースに来てくれた。ピンポイントで来てくれるサークル主の知り合い。ぜんぜん誰だかわからないけど、どうやらカタログをみて狙い撃ちしてくれているらしいひと。買うまではいかなくても、島を回るついでにパラパラと見ていってくれるひと。他のサークルのついでに差し入れを置いていってくれる僕の友人。

 

特にぼくが気になったのは、「ピンポイントでやってきて、どう考えてもネットでは互いを知っているのだが、顔を知らないので誰だかわからないひと(しかも名乗らない)」とサークル主が、新刊の内容について5分もしないくらいだけしゃべって、べつにアフターの約束をするでもなく、サッと解散するというのが、とても多かったことだ。

 

様子をみていると、ブース番号を頼りにまっすぐ来る。隣のサークルとか、全然みていない。ブースが合っているか確認し、立ち止まり、一通り机の上をみる。どう考えてもネット上では知り合いであろうことは、間違いない。でもまだ会話には至らない。とりあえず「見せてもらってもいいですか」と新刊の中身を確かめてくれる。一通り確かめたあとで──でもどう考えても中身ぜんぜんみていない──こう言う。

 

「新刊ください」

 

それからようやっと「サークル主さんいますか」と話しかけてくれる。コミケだから、まず第一に頒布物のやりとりが基本の場だ。それをちゃんと守ってくれる。いくらか話す。いきなり内容について話すので、なんとなく「どちらさまで」と差し挟むかんじにもならない。そのまま名乗らないで去っていく。


これに「ただのコミュ障じゃん」なんて、雑なことを言わないでほしい。僕はこれをみて、なんかこう、奇妙な気持ちよさを覚えたのだ。


もちろんサークル主であるところの友人は、「なんで名乗ってくれないん?」とさかんに言っていた。それはまぁそうだろう。それでも、傍から見ているぶんには、馴れ合いと、何か名付けがたいモノの間の、ギリギリのありかたが、妙に好ましかったのだ。

 


たとえば「久々に会って話そう」となると、お茶会なり飲み会なりをセッティングして、2時間とか3時間とか話すことになる。これはなかなかにハイカロリーな交流のありかたのように思う。

 

みっちり話すのも楽しいけれど、もっと気楽なありかたでもいいじゃないか。この気楽なありかた、というのは、見えないものになりがちで、ちょっともったいないなと思うのだ──もちろん、5分で済ますには、ツイッターなどの他のSNSで情報が補完されている必要はあるのだけれど。

 

そんなわけで、1日売り子をやってみて、「会ってもいいし、会わなくてもいい」「ふらっと来て、5分だけ話す(しかも半分はネットでしか知らないうえに名乗らないから誰だかわからない)」というのは、思ってる以上に悪くなかった、という体感を得たのだった。

 

……まあ話してたのは僕じゃなくてサークル主なんだけど。

 

しかし、新刊本を用意して、1日ブースに張り付く、というのもコミュニケーションを目的とするにはあまりにもエネルギーが要るので、それはそれで考えもの。

 

実際、僕とサークル主は初参加の緊張と、2人ともトイレ休憩以外はほぼブースに張り付き通しだったことで、すっかり疲れ果ててしまっていた。だから別に「みんな同人活動しよう!」とか、そういうことが言いたいわけではない。

 


ところで、これに近いもの・似ているものは過去にいくつかあるわけで。


例1。アイドルの握手会・サイン会とか。

 

それは当然似ているというか、まんま同じだとは思う。そもそもコミケも有名サークル主との握手会みたいなところがあるし、その伝統・常識を逆手にとってアトラクション化してしまう「比村乳業」みたいな例もある。「ピコ手」といわれる最弱サークル主でもこの気分を味わえるという側面はある。

 

でも、「だれでもアイドル気分が味わえる」とか「アイドル文化と同人文化の並行性」とか、「会いにいけるアイドルとはどのように生まれたか」とか、色々切り口はあると思うけど、そうは言ってもこのコミュニケーション形式はイベント・ハレの場に最適化されたものだとも思うので、ぼくは「このコミュニケーションのありかた、もっと日常化できない?」ということがいいたいのだ。

 

例2。ダラっと作業してふらっと立ち寄って、話してもいいし話さなくてもいい、てそれ部室かゼミ室では?

 

しかしそれは違うんだ。似ているがちょっと違うんだ。

 

かつて入り浸る部室を持っていたひとも、たいていは大人になればそういう場を喪う。中には古巣に入り浸る者もいる。僕もそのうちのひとりだ。しかしそれにも限界はある。

 

それを寂しく感じて「大人の部室をつくろう」みたいなことをするひとは、全国津々浦々に星の数ほどいただろう、しかしまあ、見ている限りだいたいはうまくいかない(具体的な事例をあげろというのは勘弁してほしい)。

 

先日、後輩と「常連を相手にわざとらしい部室感を出してくる飲み屋がめちゃめちゃキライ」という話をした。「なんだひさしぶりじゃ〜ん」みたいな、馴れ馴れしさとネットリしたコミュニケーションがとりたいのではないのだ。

 

それとは真逆で、むしろ対面コミュニケーションが最小限になるありかたが、もっと当たり前になってほしいのだ。でも、半年に5分だけは会ってもいい(会わなくてもいい)みたいな。

 


じゃあ、コミケでもなく、握手会でもなく、部室でもなく、「5分だけ」の間がらでいられる空間って、どんなのさ……と言われると、これが残念なことに具体的なアイデアは、今のところない。

 

どうすれば日常に組み込めるのか、思いつかないんだけど、ともかくこの「5分だけ」という間がらが、もっとコミュニケーションの基本形になってほしいなー、という話なのだった。